しばらくは木偶叩きとゲラン師の講義の毎日。
単調な時間が過ぎてゆく。
芙美子さんが声をかけてくれる。
「どう?うまくなった?」
「まだまだ、ですね。」
私の耳にはファインダーさんの風斬り音が残っている。
私は芙美子さんに尋ねた。
「トワさんのクランって、人数多いんですか?」
「どうかな〜。私はあの日、3人連れて行ったけど。」
「じゃあ、大所帯だ(^^ )
芙美子さんは笑って、去って行った。
芙美子さんを見かけたのは、それきりだ。

身体が木偶叩きに慣れてきた。木偶の胴体だけを見つめることがなくなってきた。
と、私の身体が、ブレた。
時を過(あやま)たず、木偶の腕が飛んできた。
(あっ)
思った時には私のダガーは、木偶の腕を斬り飛ばしていた。
彼方の方で悲鳴が上がる。
「木偶の腕が降ってきた!」
番小屋からうんざりした様子のガードが出てきた。
小脇に新しい木偶を抱えている。
叱られるのを覚悟して、身を硬くしている私に見向きもせず、壊れた木偶を交換する。
そして、帰り際にこう言った。
「そろそろ森に入ったらどうだい?ミスター。あんたはお金(アデナ)が稼げるし、
俺は人形を抱えなくてすむからな。」
耳まで真っ赤になって、私は答える。
「まぐれ、ですよ。」
「俺だってそう思っているさ。」
ガードは、吐き出すように言う。
「だが、お前さんの【まぐれ】が確実に俺の仕事を増やしたんだ。これ以上はごめんだ。」
その時、肩のワッペンから声が流れた。
「頑張ってるかい?ファルク。」
ファインダーさんの声だ。
「はい!」
私は声を出した。周りの皆が不思議そうに振り返る。何人かは笑って木偶叩きに戻る。
「半角の@をつけて話すんだよ。ファルク。そうしないと聞こえない。」
ぎこちなく半角@をつけると、どこにもいないファインダー先輩の気配が感じられる。
そればかりか、トワさんや名前は知らないけれど、妙に懐かしい複数の気配がする。
「ファルクです。」
「どうだい、進んだかい。」
ファインダーさんの声が暖かい。
「ガードにそろそろ森へ行けって言われました。」
「ほぅ!」
「まぐれでも、邪魔だって。」
皆のクスクス笑う声が聞こえるようだ。
「おぅ、行って来い。ウサギでも鹿でもいるから、危なくない奴を見極めろ、な。」
私は小動物を相手にするのは、嫌だ、と答えた。
反撃できない小動物を手にかけるのは、私の趣味ではない。
たどたどしく抗議する私に、ファインダーさんはあきれた様子も感じさせずに言った。
「じゃ、ゴブリンかコボルトだな。オークは黒い奴に近づくな。無理をするなよ。」
「はい」
はい、とは答えたが、オークがいると聞いては血がたぎる。
私の名は、ファルク=エンバーグ、と言う。
だが、宿屋に苗字はいらない、と親父がエンバーグを名乗らせなかった。
親父は昔、どこかの君主に仕える騎士だった。
モンスターの大群が城を襲った時、親父は最後まで君主のそばにいた。
玉間の隅に追い詰められた時、君主は追放ワンドを取り出した。
「王よ、今です!」
敵軍の司令官たる魔術師が近づいてきた時、親父は叫んだ。
司令官さえいなくなれば、なんとか君主が脱出する時間ぐらいは稼げる。
そう考えた。
しかし、君主は寂しげに微笑むと、ワンドを親父に向けた。
「な、なにをっ!」
何処ともなく飛ばされる親父の眼に残ったのは、ズタズタに切り裂かれる君主の姿だった。
そして
親父は騎士を捨てた。
小さな村に宿屋を開き、年を取ってからお袋と結婚した。
親父は旅の冒険者の話を聞くのが、好きだった。
そんな時は勘定を度外視して饗(もてな)すものだから、いつも家計は火の車だった。
時折、親父の昔馴染みの騎士やウィザードが立ち寄ることもあった。
思い出話や武勇伝の締めくくりはいつも、君主の暖かな人柄だった。
「父の名誉を守れよ、ファルク。」
酔った大人たちは、幼い私にいつもそう言った。
「宿屋の主に、守るべき名誉なんて、ないのさ。」
親父はエールのジョッキを持ち上げながら、答えていた。
「こいつは一直線の鉄砲玉だからな。騎士なんかになったら長生きはできんよ。」
「はは、親父にそっくりだ。」
年老いた元歴戦の勇者たちが笑った。

ある時、村への街道に大蜘蛛が出没するようになった。
村は寂(さび)れた。
村の若い者が大蜘蛛退治に行こう、と私の家で話していた。
親父は止めた。だが聞く耳を持つものは、いなかった。
親父はため息をつくと、有り合わせの防具を身につけ、若者たちと出て行った。
戻ってきたのは、若者の一人が持ち帰った一枚の皮の盾だけだった。
守るべき名誉なんて、なかったはずなのに。

数年が立ち、宿屋はお袋が切り盛りしていた。
貧乏は相変わらずだった。
お袋は私が冒険者たちと交わるのを好まなかった。
しかし、宿に泊まる路銀も持ち合わせていない冒険者たちに、私はエールのジョッキや
食べ物を厨房からくすねて渡した。
時にはそんな冒険者たちが剣技の手ほどきをしてくれた。
そんな晩は飯抜きだった。
私は家計の助けのため、村外れの老ドワーフの手伝いをするようになった。
薪拾いや水汲み、火の番が仕事だった。
何を聞いても
「うむ」
とか
「むぅ」
とかしか答えない老ドワーフが好きだった。
石くれや金くず、木切れから物を作り出す手さばきに心を奪われた。
ある日、隣村まで使いに出た私の留守に、村が襲われた。
オークの一団だった。
私の家も焼かれ、家族は行方知れずだ。
あの、皮の盾だけが残っていた。
「行くのか、ファル坊。」
無口な老ドワーフが珍しく口を開いた。
私は頷いた。
「世界を見るのもいいかもしれん。ついていってやりたいが、儂(わし)は歳だ。」
老ドワーフが髭と皺に埋もれた眼を赤らめて言った。
「ドワーフ族は変わってしまった。なぜかは知らん。人間を敵とするようになった。
ファル坊、今のドワーフ族に近づくな。」
老ドワーフは言葉を続けた。
「どこかにまだ、人間と手を取り合うドワーフがいるらしい。もし話のわかるドワーフに
出会えたら、ファル坊、伝えてくれ。ガズムは昔ながらに、ここにいる、と。」
老ドワーフの名を、私は初めて知った。
不意に背を向けたガズムに、私は深く頭を垂れた。
そして一枚の皮の盾を手に、遥かな渓谷を目指した。

この渓谷には、オークがいる。
それだけで私には十分だった。
私は森に入っていった。
「お〜い、ファルク、聞こえているか〜。」
ファインダーさんの声がする。
私は半角@を外した。
森は、深い。 |